今日学校で合格祝賀会というイベントのお知らせを受けました。
なんでも、難しい検定に受かった人達が集まってワイワイ騒ぐだとかなんとか、、、
んで、そこまではよかったのですが、今回のその合格祝賀会に参加できる対象となるのはどうも公務員クラスの人達と野球部、あと日商1級合格者。
なんかね、それ聞いた時に凄いムカついた、何でって?
日商1級の重みと公務員の重みが同じ目線に捕らえられてる気がするから。
人によって検定の重みなんてそれぞれだと思いますよ?でも同じ期間にどれだけ勉強してどれだけ学校に残ってやりたい事も我慢して、そういうの考えるとやっぱり自分にはどう考えても日商1級のほうが難しいと思う。
うちのクラスはうちのクラスだけで祝賀会を開くというのはまだ分かる。そりゃ当然。受かったんだから、むしろあれだけ頑張って自分は落ちた検定を合格するんだから尊敬する。祝賀会の1つや2つ開いたって全然かまわない。
でもね、何で尊敬できるかってのはその人がどれだけ努力したかが目に見えてわかるから、ハッキリ言って他のコースの人達にそこまでの努力は見えない、だから自分はどうしても尊敬なんて出来ない。なのに同じ枠でくくって合同の祝賀会、「みんなよく頑張ったね」って一言でくくられる。
結果が全てだというのならその言葉の意味をホントに分かって言ってほしいものです、同じ努力もしてない人達が違う結果を出し合って、それで行き着く先は合同の祝賀会で同じ評価、この一連の流れが自分には納得できません、もしも祝賀会という形でやるならコース別にすべき、努力した人を称えたいのなら大原に属する人全てが参加できるものにするべき、自分はそうおもいます。それなら野球部が入ってくるのも分かる。ま、全員だと野球部ってくくる必要もないんだけどね、だから出席日数とかでくぎったりしてさ、それなら学校サボってるあきらかに努力のかけらも見られない人は省けるしw
努力って言葉はとってもいい言葉だけど、残酷ですね。
結果という言葉が出された時、努力なんて微塵も残らないんだから…
はは、なんだかバカみたいです。
あ、そうそう、今回の例を例えるなら、東大にものすごい努力して入った人、3流大学に普通に入った人。結果だけで見るなら大学に合格したんだから、という感じで同じ目線で見られるのと一緒です。
わかります? なんか納得出来ないでしょ?w
不合格だった人達が可哀想とかそんなんじゃなくて、むしろ可哀想なのは合格した東大の人、同じ目線で見られるんですから…。
ま、そこで彼らが凄いからと言ってあんまり褒め称えすぎるとそれはそれでまた問題だったりするんですけどね。(学歴社会になっていったりとか)
はぁ、なんだか話しが反れました、まぁとにかく今日はイラついた一日でした。他にもいろいろあるけど今日は疲れたのでこれくらいにしときます、でぁでぁ、おやすみw